好きなものには正直に

V6ファンの亡霊と化しているOL(29)の日常。

V6解散まであと233日。

2021年3月12日。

私の大好きなV6が解散を発表しました。

 

知ったのは発表されてから数時間経って。

仕事を終えて1年ぶりに会う高校の同級生との飲み会に備えてスマホを起動させたときでした。文春がV6解散を報道。

 

いつもの解散報道でしょ?

アクセス数を稼ぐための記事でしょう?

そんなのもう気にしないし、この記事読んだら彼らに不利益が被るから見ない・・・

 

Yahooのニュース速報がきている。

友人から大丈夫?の声。いろんな人から連絡が来てる。

いつもと違うぞ?あれあれ???

 

そこからは記事を軽く読んで理解した振りをしつつ、最寄り駅へ向かう。

いつの間にか涙が出ていた。

実家暮らしなので、家にいる母親から鬼気せまったスタンプと文面に涙した。

 

友だちと会うまでも涙が止まらなかった。

何で、どうして、みんなで年とってもボックス踏んで踊ろうぜ、って。いってたじゃん。

あの言葉は何だったの、とか。

昨日久々に会った友人と合流する前から大丈夫?のLINEがきていて。

気が紛れるから会ってご飯食べよ、といって。

 

友人が「私と出会う前からずっと好きだったの知っているから自分のことのように辛い、」って言ってくれたのがとても嬉しかった。

私が感じている悲しみとは全然重みとか違うだろうけど、言葉がうれしかった。

 

今日は絶賛仕事DAYでしたが、通勤時、ずっとしとしと泣いてました。

どうしていいかわからなくて。何が悲しいって

ずっといてくれる、これからもずっと、ずっと一緒、と思っていたのに

そうじゃない現実を突きつけられて。

 

いろんなグループのメンバー脱退、解雇とか最近多いですけど、

そんなのとは無縁だと思っていたし、その類いの話に

どんな気持ちになるのかわからない、だって、スキャンダルっていうスキャンダルがないんだもの。と言っていた自分。

 

永遠なんてないんだな、って。

 

解散とかそういうのを経験された方の主張は

世の中にごまんとあふれていて、その時の気持ちを言語化した物はないなと思ってして、しいて自分で今回の気持ちを表現するとするならば、「悲しい」と「無」が一番近いかも。

 

2007~ライブも舞台も行きまくっていた私。

剛ちゃんの舞台を見て、以前思ったことがある。

剛ちゃんがジャニーズじゃなかったら、そうじゃない世界線で生きる剛ちゃんの演技を見てみたい。何のフィルターもかかっていない「森田剛」を。

V6ファンで剛ちゃんの舞台を観に行ったときにそんな感想をもった人いらっしゃいませんか。

もしかしてジャニーズだからの理由で制限されている役があるんじゃないか?そんなことを考えていたあの日。

でも、V6として活動するからにはジャニーズとしての森田剛としてのごうちゃんを見続けていくことになるのかな~って。

 

正直剛ちゃんの新しいステージにいって役者としての幅が広がっていく、これは嬉しいこと。

なのに6人でもう会えないんだ、という事実がそれを軽く上回っていくぐらいにつらい。

 

V6と一緒に歩んできた青春時代。

嵐やKAT-TUNが流行っていた時代にファンになって、「何で?」っていわれることも多かったけど、好きに理由なんてないし、誰に何を言われようと関係なし!と思ってずっと一緒に生きていた。

自分の節目もV6と重ねて記憶しているし、これからもそれは変らないんだろうな。

 

イノなきとクルグル読みました。

ずっとみんなに言えなかったこと、気持ちをぐっと押し込めて走ってくれた25周年記念のライブを思うと彼ら自身のほうがよっぽど辛いと思うのに、ファンのことを思って、「いきなりでごめんね。みんなを悲しませちゃったね。」と言ってくれるやさしさ。そこがまたつらさを増幅させる。

 

これからどうなっていくか分からないです。

でも2021年11月1日のデビュー日をむかえるその日まで

いちV6ファンであることは変わりないです。

 

泣いててもこれから進もうとする彼らを困らせるだけだから、

今日は会社の天井を見て涙をグッとこらえていました。

でもこの気持ちが少しおとなしくなるまで少し泣かせてください。

 

気持ちの整理がつくまで、ブログを更新しようと思います。